嫌な客が帰ったあと「玄関に塩をまいときな」なんていいますよね。
嫌な客がもってきった穢(けがれ)を塩で清めるという思いからなんですね。
昔から、塩で身を清める、塩で場を清める、といいます。
でもその由来はどこからきているのでしょうか。
「身を清める」ってどういうこと。
「塩」でないとだめなのか?「盛り塩」の意味はなに?
いつから塩が使われだしたのか?
「お清めの塩」について、その由来を紐解いていくと、神話の世界にたどりつきます。
身を清める、の始まりは・・・
「身を清める」ことが最初に登場する古事記
古代日本神話の「古事記」の中で、黄泉の国から戻ったイザナギノミコトが、
筑紫の日向の橘小戸の阿波岐原(つくしの、ひむかの、たちばなのおどの、あわぎはら)にて、御禊祓(みそぎはら)へをしたと伝えられています。
小戸の阿波岐原が、どこの場所を指すのかは諸説あるのですが、九州北部で間違いないであろうといわれています。
福岡あたりが有力だそうです。
それはさておき、黄泉の国で身についてしまった「死」という「穢(けがれ)」をおとすために、水を浴びて禊(みそぎ)を行なわれたのです。
これが、身を清めるということが初めて日本の歴史にでてきた出来事でした。
どうして「身を清める」のか
神道においては、「死」を穢れと考えます。
また、私達は生きている限り、罪や穢を生みだしつづけるといいます。
そのため、日々の生活で、身にまとわりついた罪穢れを洗い清めるための方法をイザナギノミコトの故事にならいました。
「塩」がお清めにつかわれるのは、なぜ
禊の場所は古語で「斎用水(ゆかわ)」とよばれ、海浜や海に通じる川の淵(ふち)、大河の枝川や池、湖の入り江が神聖な場として選ばれました。
また、四方を海で囲まれている日本人にとって、海水から採れる塩は、古くから特別なものであったのでしょう。
貴重な食品である、魚や野菜などを塩漬けにすれば腐敗からのがれられます。
まさに塩には、腐敗を妨げる魔除け的な摩訶不思議な力があると信じられてきたのです
海に浸かって、「禊」をおこなえば、
海の水の力だけでなく、塩の力によっても清められます。
自らの身を清めるのに、大きな力を持つものが、「水」と「塩」だったのです。
この塩は、海水を濃縮してつくる天然塩、粗塩のことです。
今も各地には、海上渡御(とぎょ)といって、お御輿を担いだ人々が海に入る行事もあります。
力士が土俵に塩をまくのも、大事な取り組みの場を清めるためです。
けんかっ早い江戸っ子は、嫌なお客が帰ったあとなど「塩撒いておきな」というセリフを吐きます。
これも、嫌なヤツに汚された場を清めるという理由なのですが、この思想は現代にも脈々と受け継がれています。
葬儀と塩
葬儀に参列すると、「死の穢れ」が移るといって、大抵の場合「会葬御礼」に小さな塩のパックがついてきます。
自分の家に入る前にその塩で身を清めるためです。
しかし、浄土真宗は、「死を穢」とはかんがえず、お清めの塩を出さないといいます。
最近では、その他の宗派による葬儀でも、会葬御礼に塩をつけないことが多くなってきたようです。
しかし、私はそんなときのために、出かける前には自分で塩を用意しておきます。
玄関口に用意しておいてもいいですし、小袋に入れて持ち歩いてもいいです。
そして、葬儀から帰れば、必ず塩で身を清めてから家に入ります。
そうしなければいけないと思っています。
たしかに、私も「死」が穢とは思いません。
その死が、家族や、親類縁者のものであればなおさらです。
ですから、家族の者の死を、穢として、他の人達が塩で身を清めている姿をみれば、やりきれなさを感じるでしょう。
しかし、神は「死」を穢だとしておられるのです。
それは、イザナギノミコトの故事からもあきらかです。
葬儀のあとに、塩で身を清めるのは、神に対する礼儀なのです。
私の家には、神棚があり神に守っていただいておりますから、葬儀に参列した場合は、必ず家に入る前に塩で身を清めます。
穢のついたままの体で、神の前にでることはできません。
福の神、火の神、水の神・・・、神棚がなくても、昔からその家にはそれぞれ神がついています。
「盛り塩」の意味は
古くは平安の時代から、家の前に盛り塩をする習慣がありました。
これは、高貴な人が牛車で家の前を通るときに、牛の好物である塩で牛の足を止め、高貴な殿方を家に招き入れようとする女房たちの一つの知恵でもありました。
現代では、日本料理店などが店の玄関先に「盛り塩」を置きます。
入っていただくお客様のために店の中を清めておくという店主のはからいです。
間違っても、嫌な客が帰ったあとにまく塩と同じなんだとは思はないでください。
この「盛り塩」はお店だけでなく、自宅でも使えます。
玄関前に置いておけば、嫌なこと、辛いことがあっても、清浄な気に清められている家に入れば心が落ち着きます。
小皿に少量盛れば、それで大丈夫です。
ここ一番の大事なときには、お守り代わりに、お塩を小袋に入れてポケットに忍ばせる使い方もできます。
まとめ
イザナギノミコトの故事に習い、
神道では「死」を穢れと考えます。
葬儀のあとに、塩を体にふりかけて身を清めるとか、
あるいは、盛り塩をおこなうように、場を清めたり、魔除けの意味で塩をまくというのは、
神話の時代から続く風習のようなものなんですね。
科学的根拠は乏しくても、
「塩」は生きていくためには欠かすことのできない大事なものです。
そんな「塩」を体にふりかけることで、塩の力をわけてもらっていると考えれば、不思議な力も湧いてこようというものです。
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