国語辞典で「押印」の意味を調べるとわかるのですが、
「おしいん」で辞書を引いても「押印」の解説は出てきません。
つまり、「押印」を「おしいん」と発音する読み方は間違いだということです。
「押印」の正しい読み方は「おういん」です。
「おういん」で辞書を引けば「押印」の意味を知ることができます。
「押印」は社会生活においてよく使われる言葉です。
間違っても、「この書類に押印(おしいん)願います」なんて言わないでください。
押印する意味って考えたことありますか
文書を作成した場合は、署名をするのと同時に押印するのがあたり前のようになっています。
日本は印鑑社会といわれるくらい、ほとんどの文書に印鑑が要求されるんですね。
でも、すべての文書に押印する意味はあるのでしょうか?
そもそも押印する意味はなに?実印での押印と認印での押印には違いがあるのでしょうか。
押印することで何か特別な法的効力が発生するのでしょうか?
「ここに押印を願います」「ハイ どうぞ」なんて気軽に印鑑を押していますけど・・・
押印する意味って知ってました?
責任持てなければ押印するなって?
じつは押印には、その文書の信用性を高めるという役割があります。
押印の有無でその文書の信用性が違ってくるんですね。
日本には古来から、大事な文書には印鑑を押すという伝統があります。
つまり、押印することで、
「確かに約束しました」
という、確定的な意思表示がされたことになり、そこではじめて文書が完成するという慣習があります。
だから、押印がある文書は(押印のない文書に比べれば)より信用性が高い文書だとして扱われるのです。
ちょっと変だなと心配するような文書には「ここに印鑑をください」「ここに押印願います」といわれても安易に印鑑を押してはいけないのです。
あとになってから、
「そんな内容の文書とは思っていなかった」と主張しても、
「印鑑を押しておいて、いまさらそれはないでしょう」と相手にされません。
裁判になれば、押印したことで不利になることはまぬがれません。
一般に、押印は本人の意思に基づいて行われるのですから、
押印があることで、その文書が本人の意思に基づいて真正に成立したものである、と推定されてしまうからです。
これをひっくり返すのは、相当に難しいのです。
印鑑を押すときは、ちゃんと文書の内容を理解したうえで押してください。
押印の意味は、文書にお墨付きを与えることのようなものです。
押印することに、法的な義務があるとか、
押印することで何か特別な法的効力が生じるというものではありませんでした。
(法律で押印が義務付けられている一部の例外は除きます)。
押印の有無は、あくまでも文書に対する信用性の問題にしかすぎなかったのです。
押印するはんこが実印と認印では違いがあるか
個人が所有する印鑑といえば、実印と認印の2種類になると思います。
実印とは、自分が居住している市区町村長に印影の登録申請をして受理された印章(ハンコ)のことで、必要なときに「印鑑証明書」を得ることができます。
認印は、実印以外の印鑑の総称と思えばいいです。
では、契約書に押印する印鑑は実印でも認印でも同じなんでしょうか。
答えは、実印に印鑑証明書が添付されていなければ、
どちらも同じで、法的効果については優劣はありません。
押印があれば、どちらもその有効性に変わりはないのです
ただ、
認印はどこででも手に入りますから、あとから相手当事者に、
「自分の印鑑ではない」、
と主張された場合、相手当事者が押した印鑑であることを立証することは困難ですよね。
でも、実印の場合は印鑑証明書を添付してもらっておけば、本人の印鑑であることは簡単に立証できます。
重要な契約では、契約書には本人の署名に加えて実印を押印してもらい印鑑証明書をつけてもらうのが最も安全な方法なんですね。
署名があれば印鑑は不要なのでは
日本では、契約書をかわすときに、署名と印鑑を求められるのが普通です。
でも、本来は署名すれば、押印する法的義務はありません(記名の場合は押印が必要です)。
よって、押印がないからといって契約書が無効になることもありません。
押印は昔からの慣習に過ぎないのです。
だったら、押印することになんの意味もないのではと考えがちですが、
- 押印する義務がないということ
- 押印の価値がないということ
この二つは別問題なんですね。
いざ訴訟に舞台が移されると、印鑑が俄然重い意味を発揮するからです。
法律では押印はどんな意味をもつのか
民事訴訟法228条4項は、
「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する」とあります。
(「推定」とは、反証がない限りそれが事実だとされることですから、反証がなければ裁判官により真正に成立した文書だと認定されることになります。)
法律家に噛み砕いて説明してもらったところ、
この、
押印があるときは=押印が本人の意思に基づいているとき、
と解釈されているんですね。
いいかえれば、
本人の意志に基づいて押印された文書=真正に成立したものと推定される、
のです。この点は、たしかにその通りですよね。
ですから逆にいうと、
本人の意思に基づかないで押印された私文書は、真正に成立したものと推定されることはないはずなんです。
でもでもですよ!
最高裁昭和39年5月12日判決によれば、
「私文書の作成名義人の印影が、その名義人の印影によって押印された事実が確定された場合、反証がない限りその印影は本人の意思に基づいて押印されたものと事実上推定され文書全体の真正が推定される」
つまり、
印鑑証明書により本人の印鑑であることを立証しさえすれば、本人の意思に基づき作成された真正な文書とされるのです。
これに反論するには、
押印は印鑑を預けていた者が勝手に押したものであるから、本人の意志に基づかない偽造された文書である、などということを立証しないといけません。
これはかなり難しいようです。
友人が連帯保証人の押印で裁判になった話
友人から聞かされた話なんですが、
連帯保証人になっている、なっていないで争いになったそうです。
聞いてみると、印鑑を預けていた知人が、勝手に印鑑を押したせいで知らないうちに連帯保証人にさせられていたというのです。
だいたいが、他人に印鑑を預けるお前が悪い!
といったところで始まりません。
裁判の話は説明が難しいので詳細ははぶきますが、
要は、
すったもんだの水掛け論で、結局のところ連帯保証契約に関しては真偽不明の状態になったんですね。
他方、債権者側は、本人への意思確認を立証できず、結果、連帯保証契約の成立を否定されたというのです。
でもこれって運が良かったと思いますよ。
意思確認を立証できなかったといいますが、こんなのは確かな証拠を示さなくても、「意思確認はしてるんじゃないかなぁ~」なんて心証を裁判官に持たせるだけで十分なんですから。
本当にお前は運が良かったなぁ、といってやりました。
押印することで法的効力が発生する場合
押印は法的義務ではないといいましたが、
なかには法律で押印が定められている文書があります。
身近なものでいえば、遺言書は法律で「自署押印」が定められています。
そのため、押印がないと遺言書としての法的効力は発生しません。
ほかにも、法律で印鑑が文書の有効要件とされているのは、婚姻届、手形、不動産登記申請書、商業登記申請書などごく限られています。
最後に
押印することの意味について調べてきましたが、
通常は、押印があるかどうか自体には法的な意味はほとんどありませんでした。
でも価値がないというわけではないんですね。
押印することで、「確かに約束しました」という、確定的な意思表示が行われたと判断され、そこではじめて文書が完成するというのが、日本社会の慣習になっているからです。
だから、押印がある文書は(押印のない文書に比べれば)より信用性が高い文書だとして扱われるのです。
「とりあえず、印鑑が押してあるから間違いない、安心だ」と思ったことないですか。
押印があるということは、そういうことです。
印鑑に関するトラブルはじつに多いそうです。
印鑑を押せば、何がしかの責任が生じることは自覚しておいたほうがいいです。
なお、この記事では一般的な用例に従って、ハンコのことを「印鑑」といいます。ただし、印鑑とはんこは別物です。
詳しくは印鑑とはんこの違いはなに?をお読みください。
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