「感恩報謝」の心こそが大事である、といいます。
感恩とは、うけた恩をありがたく思うこと。
報謝とは、その恩に報いること。
つまり感恩報謝とは、
「うけた恩に感謝し、その恩に報いること」という意味になります。
ただ、「ありがたく感じて謝意を表す」という「感謝」とはまったく違うんですね。
感恩報謝のこころ
安岡正篤師の講話録『運命を開く』
(プレジデント社)
からの引用です。
人間は生きる、長ずるにしたがって、思えば思うほど、いろいろの因縁というもの
、情感的 emotionalに言えば、いろいろな「お陰で」自分というものができていることがわかる。
そこで、このいろいろなお陰でできた自分だから、いろいろ報いなければならない。これを「感恩報謝」といいます。
「□」-環境と、「大」-人の手足を伸ばした相と、「心」とより成るものが「恩」の字です。
その意味は、何のお陰でこのように大きく存在しておるか、と思う心が“恩を知る”ことです。
我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教の恩など、あらゆる「恩」の中にあります。
これに絶えず報いていくのが生活であります。
自分の存在というものは、多くの要因や他者の助けによって形成されています。
それゆえ、私たちはこれらの恩恵に報いる義務があり、「感恩報謝」という考え方が生まれます。「恩」という文字は環境、人、心から成り立っています。我々は多くの「恩」の中で生きており、日常の生活においてこれらの恩恵に感謝し、報いることが必要なんですね。
感恩報謝の生活とは
わたしには、感恩報謝の心がないというのです。
事の起こりは、膝の痛みに対するわたしの心構えについてでした。
左膝の痛みは数年以上前から出ており、そのつど色んな人のお世話になり痛みをやわらげてもらっていました。
膝痛対策としての注意点、膝関節周りの筋肉を鍛える方法も指導してもらい、とにかく、続けるようにと教わりました。
暫くは教えを守り続けます。
お陰さまで症状はよくなってきます。
すると毎日のストレッチ運動が面倒になりやらなくなってきます。人間はとかく楽をしたがるんですね。
そして、忘れた頃に又痛みがぶり返す、
毎度のパターンであります。
こんな事を何度も繰り返しており、つい2,3日前からまたしても「痛い痛い」と言いだしたわたしに家内が一言。
家内:あんたは、痛みを治してくれた先生をどう思っているの。
私:そんなの感謝してるに決まってるだろ。
家内:だったら何で治してくれた先生の教えを守って体の手入れを続けていく努力をしないの。
人からやってもらったことをありがたいと思い、相手にその気持ちを表してお礼を言う。
この程度のことはして当たり前よ。
私:だから有難いと思っていつも感謝してるよ。
家内:「感恩報謝」という言葉知ってる?
治してもらった恩にただ「感謝」するだけでいいの?
何で、治してもらった恩に報いる努力を続けないの?
私:・・・・・
家内:先生の教えを守り、自分でも再発させないように努力して体のメンテナンスを続ける。
これこそが治してくれた先生の恩に報いること、これを「感恩報謝」の生活というのよ。
私:心の声で「ごもっともです」
人からやってもらったことを、ありがたいと思い感謝することは日常的なことですが、
わたしにはそれから先のその恩に報いるという発想はありませんでした。
日頃の家内がやってくれている事に深く感謝し、亭主として目に見える形でその恩に報いていきたいと、反省する1日でありました。
我々は天地の恩、人間の恩、道の恩、教の恩など、あらゆる「恩」の中にあります。
これに絶えず報いていくのが生活であります。
合掌
こんな記事もあります。
>>夫婦円満のコツはこれ!分かっていながらやらないたった3つの◯◯
>>愛語ってなに?夫婦円満の秘訣は愛語なのか!
コメント