愛語ってなに?夫婦円満の秘訣は愛語なのか!

つぶやき

ブログを始めるにあたり最初の記事をなににするか考えました。

カッコつけるわけではないが、最初の記事は特別の思いを込めたものにしたかった・・・

それで、今自分が大切にしたいと思っていること。
「愛語」について書くことにしました。

「愛語」というのは、曹洞宗の開祖である道元禅師が著した正法眼蔵第二十八に登場します。

難しく考えることではなく、日常生活の中で「おはよう」「今日も天気が良さそうだね」「お久し振り!」「どう、元気にしてる?」「腰が痛いの、今はどう?」など相手を気遣う何気ない言葉などが「愛語」となるそうです。

若き良寛さんは「『正法眼」』を読んで感動し、自らも愛語を心がける人生を送られたそうです。そして、  最晩年には、「愛語」の全文を書き写しました。この書の写しは我が家でも大切にしております。

「愛語」には人間関係を良くする働きがあるようです。

そして、「愛語」は知るものではなく、使うものである。

考えてみれば、夫婦も長いことやっていれば、会話も少なくなってきます。「いちいち言わなくても分かっているだろう」は世の旦那の常の姿のようですが、これがダメなんですね。

顔、を合わせたら「おはよう!」食事の時は「今日の味噌汁もうまいよ」の一言。「今日、こんなことがあって笑っちゃたよ」とか、笑顔で会話ができる夫婦なら、仲悪いというのは多分ないと思う。

やはり、人間関係を結ぶのは「愛語」です。

難しく考えることはない。相手を気遣う想いをちょっと言葉にすればいいだけなんだと思う。

私はそう思う

でも、これがなかなかできない・・・

できなくてもできるようにする。
そうでないと、いつまでたってもできません。

カミさんから話しかけられなく前に、その前に自分を変えないと・・・

曹洞宗には「修証義」というお経があります。

在家の人々のために「正法眼蔵」から大切なところを抜き出してまとめられたもので、明治時代にできたそうです。

「愛語」は修証義第四章発願利生にその一部が取り上げられています。

全文の内の黄色いマーカー部分をつなぎあわせたものです。

「愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(しゆうじ)とせり」が抜けているのが不服なのですが・・・
私は仏の心は「慈悲の心」だと思っていますので、このところを大切にしていきたいと思っています。
「愛語」全文

愛語といふは、衆生をみるにまづ慈愛の心をおこし、顧愛の言語を
ほどこすなり。おほよそ暴悪の言語なきなり。世俗には安否(あんぴ)
をとふ礼儀あり、仏道には珍重(ちんちょう)のことばあり、不審の孝行
あり。慈念衆生(じねんしゅじやう)、猶如赤子(いうにょしゃくし)
のおもひをたくはへて言語するは愛語なり。徳あるはほむべし、徳なきはあ
はれむべし。愛語をこのむよりは、やうやく愛語を増長(ぞうぢやう)す
るなり。しかあれば、ひごろしられずみえざる愛語も現前するなり。
現在の身命の存ぜらんあひだ、このんで愛語すべし、世々生々(せぜしやう
じやう)にも不退転ならん。怨敵を降伏(がうぶく)し、君子を
和睦(わぼく)ならしむること、愛語を根本とするなり。

 むかひて愛語をきくは、おもてをよろこばしめ、こゝろをたのしくす。
むかはずして愛語をきくは、肝に銘じ、魂に銘ず
しるべし、愛語は愛心よりおこる、愛心は慈心を種子(しゆうじ)とせり。
愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり
たゞ能を賞するのみにあらず。
正法眼蔵第二十八

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