「さすが部長のお子さんです。蛙の子は蛙ですね。」
部下の人は、蛙の子は蛙は褒め言葉だと思っていたんです。
甲子園球児でもあった部長の子供がある野球大会で大活躍し、チームを優勝へ導いたとの話を聞いた部下の男。
子供の才能をほめたつもりで部長にそういいました。
でも、部長はただ苦笑いをするだけ、何もいわないでその場からさりました。
部下の男は、部長を不愉快にさせたことに気づいていません。
「蛙の子は蛙」の意味を知らなかったんでしょう。
「蛙の子は蛙」の意味、あなたは正確に答えられますか。
蛙の子は蛙の意味
蛙は、子供のころは親とはまったく形の違うおたまじゃくしですが、
成長すれば、結局、親とおなじ蛙になります。
それゆえ、
子供の才能や性質は親ににるものだというたとえとして、
蛙の子は蛙といわれるようになりました。。
いい方を変えれば、「蛙の子は蛙にしかなれない」。
つまりは、「親を超えることはできない」という別のニュアンスも持っています。
これでは、部長が苦笑いした心の内が想像できるというものです。
では、「蛙の子は蛙」このことわざは、どんな使い方をするのが正しいのでしょうか。
蛙の子は蛙の正しい使い方
蛙の子は蛙には、「親を超える、親以上にはなれない」というニュアンスがあるといいました。
ですから、他人へのほめ言葉としては使えないということです。
特に、自分より目上の人や上司に対して使うのは、大変失礼なことです。
正しい使い方は、本人が謙遜の気持ちを込めて使う場合のみです。
冒頭の部長と部下のやり取りの場合、
部下は部長に対してこういうべきでした。
部下 「部長のお子さん〇〇野球大会で優勝ってすごいですね」
部長 「いや~、蛙の子は蛙でね、こんな程度だよ。」
このように、部長が謙遜の気持ちを込めてこのことわざを使うのが、正しい使い方です。
蛙の子は蛙をいい意味で使うことはできるか
「いい意味」をどう考えるかです。
もともと、蛙の子は蛙は、子供の才能や性質は親ににるものだということのたとえです。
ご隠居さんと熊さんが将棋を指しています。
ご隠居さん 「せがれの将棋は本当にヘボでね」
熊さん 「そいつはいいや。やっぱり、蛙の子は蛙だね」
こんな風になら、他人に対してもいい味かげんで使えるんでしょうね。
しかし、蛙の子は蛙は、どちらかといえば、もう一つのニュアンスである、
- 「蛙の子は、蛙にしかなれない」
- 「親を超えることはできない」
- 「凡人の子は凡人にしかなれない」
というマイナスイメージでとらえている人のほうが多いです。
「蛙の子は蛙」ということばを、文脈の中でそのままいい意味で使うのは難しいものです。
話す相手、内容、話の前後それらを考えて「子供の才能や性質は親ににるものだ」の主旨で話さないと誤解を招きます。
なお、蛙の子は蛙のように、親と子の関係をたとえることわざは結構あります。
蛙の子は蛙の類語
- 瓜の蔓に茄子はならぬ(うりのつるになすびはならぬ)。
平凡な親から非凡な子は生まれないことのたとえ。
血筋は争えないというこなんです。また、原因のないところに結果はないというたとえです。 - 鳶の子は鷹にならず(とびのこはたかにならず)
平凡な親から生まれた子は、結局は非凡な人間にはなれないというたとえ。鳶の子をどのように育てても、鷹にはならないということ。
蛙の子は蛙の対義語
- 鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ)。
平穏な両親からすぐれた子が生まれることのたとえ。
鳶が孔雀を生む、ともいいます。
補足
「この親にしてこの子あり」ということわざがあります。
先程の部下の発言でいえば、「・・・優勝ってすごい。この親にしてこの子ありですね」だったらまだよかったんです。
部長も苦笑いでごまかすこともなかったかもしれません。
ただ「この親にしてこの子あり」は、良い意味でも、悪い意味でも使われる、ちょっとヤッカイなことばです。
よい意味だと:すぐれた親からは、すぐれた子供が生まれる。
悪い意味だと:できの悪い親からはできの悪い子供が生まれる。
で、どちらかといえば悪い意味で使われる、と思っている人が多いんです。
よい意味で使ったのに、変に誤解されてはたまりません。
使うのはできるだけ避けたほうがよいことばです。
まとめ
「蛙の子は蛙」の意味は、結局子は親に似るものだということ。
「いくら背のびしても、蛙の子は蛙だ」ということなんです。
本人が謙遜の気持ちを込めて使うのがこのことわざの正しい使い方です。
決して他人に向けてほめ言葉として使うことわざではありません。
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