左団扇の意味と語源についての雑感を述べます。
団扇を使う場合、ふつうは利き手である右手であおぐのですが、それを、左団扇といって、利き手である右手を使わないで、左手で団扇をゆっくり使います。
そうすると、そのゆったりとした様子が他の人から見ると、あくせく働く必要がなく、ゆったりとした生活を送っているようにみえるのです。
そこから、
なんの心配、不安もなく安楽に暮らす様を、「左団扇」というようになりました。
左団扇の語源
右利きの人を前提として、諸説があります。
利き手である右手は、自在に動かすことができる、働く手です。
ですから、右手を使うというのは、働くことを意味します。
団扇を使うときは、ふつうは利き手である右手であおぎます。
それが左手でゆったりと団扇をあおぐというのは、右手を使うまでもない、
すなわち、働く必要がない、という状態の楽隠居をあらわしているというところから来たという説。
左団扇というのは、自分で団扇を使わなくても、左側からあおいでくれる専用の使用人が雇える
裕福な生活をしているところから来たという説。
など、利き手である右手を使うまでもない、左手で十分用は足せるという余裕のあるおおらかな姿が、なんの気苦労もない暮らしぶりを表しているように感じるのでしょう。
あこがれの左団扇
左団扇とは、働いてお金を稼ぐ必要もない、家庭も円満で、何の気苦労もなく、仕事もせずにのんびりと暮らす状態なんですね。
お金さえあれば、「左団扇で暮らせるんだ」なんてことにはならないようです。
いくらお金があっても、満たされない生活を送っている人なんていくらでもいます。心が満たされない生活なんて、「左団扇」で暮らすなんていいません。
まぁこれは私の負け惜しみなんですがね。
貧すれば鈍する、ともいいますから、お金は必要ですよ。
だけど、その人にとっての「足るを知れば」いいんです。それ以上を求めても際限がなく、心は満たされません。
それにしても、左団扇で暮らす、じつに素晴らしい言葉の響きに酔いしれてしまいます。
今でも生きている言葉だと思いますが、、
私の中では、とっくに何処かへいってしまった、あこがれの言葉です。
自分の努力でつかむことができなくても、息子が成功して人生の勝ち組になり、
親の面倒を何不自由なくみてくれれば、左団扇で暮らせるのですが・・・
親亀コケれば、子亀もコケる、人生思うようにはいかないものです。
左団扇で暮らせる人になる方法はなに?
左団扇で暮らすためには、経済的にだけではなく心の余裕もないとダメです。
そう思うと、お金のことは「分相応の生活」「足るを知る」ことができればいいんです。
お金を稼ぐということは、金額にもよりけりですが、努力してがんばリさえすれば何とかなるというものではないです。
稼ぐことも大事ですが、質素倹約のほうがお金を残す近道だと思っています。
必要以上な妄想を追いかけるのはやめましょう。
それより、
- 健康である
- たまには外食やら旅行などを楽しむ心の余裕がある
- 好きな趣味があり、それを楽しんでいる
- 親しい友達に囲まれている
- 今の生活環境を受け入れ、暮らしを楽しんでいる
これができていれば、「左団扇」で暮しているということになります。
まぁ多少の負け惜しみはご勘弁を
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