床の間は、書院造りが始まってから登場しました。書院は、書斎として知られ、禅の悟りである幽玄を感じる場所で、幽玄の間とも呼ばれます。
その入り口は玄関で、現代では家の入り口を指しますが、昔は書院の入り口を指しました。
ここは悟りを開くための仏間であり、仏を祭るスペースがあります。このスペースは一般の部屋よりも1段高く、上段の部屋のようなもので、床はいつも畳で覆われています。そのため、ここを床の間と呼ぶのです。
床の間の歴史と変遷
昔の家庭では畳が全ての部屋に敷かれており、そのためみんなが床の間に住んでいるようにも言えます。
もともと、畳は仏様が座られる場所に敷かれていました。今でも、畳敷きの床の間は本床と呼ばれ、板敷きの部分は板床と呼ばれており、それぞれに畳の有無によって真、行、草(真は正格、草は崩れた風雅の形、行はその中間)の床があります。最上級の床では畳が必要です。
その後、仏を祭る床のスペースが簡略化され、仏像や仏画が掛けられるようになりました。さらに簡略化され、仏の名前を字で書いて掛けるようになり、さらに坊さんの手書きやお経の断片などが掛けられるようになりました。
そして、これらの掛け軸の前にはお香、ともしび、花の3つを台に乗せて、正面の仏画などを祭る習慣が生まれ、これが現代の床の間の起源です。
床の間の配置と機能の解説
仏陀は人間を超えた位置にいますので、もちろん、上位にいます。したがって、背中を床に向けることは、上座に座ることであり、仏陀の次に座ることを意味します。
床の上に上がると、その場所は既に仏陀の存在する空間であり、その人は仏陀のようになります。そのため、床の間に座る人は存在しません。
人間が座る最上位の場所は、床の間の前に位置しているのです。
床の間は常に中央に配置されています。床の間の右側には書院窓があり、そこで経典を読んだり写したりします。また、書斎の中には固定された机があります。
左側には違い棚があります。そこに経巻や仏具を置くことがありますが、さらにその中に経典をしまうための地袋と呼ばれる袋戸を作り、さらにその上にもう一つ袋戸を設けたりして、いわゆる江戸時代の床の間が完成します。”
床の間の歴史と礼法
さらに補足しますと、床の間の右側に位置するのが本床であり、左側にあるのは逆床と呼ばれ、略式とされています。
床の間はもともと仏を祭る場所であり、現在は美術品などが飾られますが、かつては崇拝の場所でした。
そのため、他人の家に訪れた際には、まず床の間の前に座り、掛けられた絵画や書物などを鑑賞し、褒め言葉を述べた後に主人に挨拶するのが適切な礼儀です。
一般的には習慣として行われていますが、これは仏教の影響を受けたものと言えます。
まとめ
床の間は書院造りができるようになった際に登場し、書院は禅の悟りを悟るための部屋であり、その入り口は当初、玄関と呼ばれていました。
床の間は仏間であり、一般の人間の空間よりも1段高い場所にあり、畳敷きであるため、そこを床の間と呼ぶようになりました。
現代では多くの家庭で畳が敷かれており、床の間は仏像や美術品を飾る場所として使われています。初期の床の間では仏名やお経を掛け、その後は絵画や書を飾るようになりました。また、床の間は上座であり、仏の次に座る場所であり、床の上に上がると仏の存在する空間とされ、床の間に座ることはありません。
床の間は通常、部屋の真ん中に配置され、右側には書院窓、左側には違い棚があり、そこに経巻や仏具を置き、お経をしまっておく袋戸が設けられます。
床の間は礼法においても重要な役割を果たし、訪れた客は床の間の前に座って掛けてある絵画や書を鑑賞し、褒め言葉を述べた後に主人と挨拶するのが一般的です。
コメント