さじょううげ(左上右下)とはなに?右に出るものはいないとの関係は?

左上右下(さじょううげ)とは、日本の伝統的な礼法のしきたりを表した言葉です。

「左が上位で、右が下位」になるというというしきたりです。

でもそれとは逆に、「右が上位で、左が下位」という「右上左下(うじょうさげ)」というしきたりもあります。

日本では、「左上右下(さじょううげ)」と「右上左下(うじょうさげ)」という真逆のしきたりが時により混在します。

そのため、ときによって「どちら側に立てばよいのか?」という混乱を生じさせてしまうのです。

「左」と「右」の関係についてまとめました。

「左上右下(さじょううげ)」のしきたり

日本に「左上右下(さじょううげ)」のしきたりが入ってきたのは飛鳥時代。

中国では「唐」の時代です。

遣唐使を通じて中国の考え方を取り入れてきた日本に、唐の時代の「左上右下(さじょう・うげ)」の決まり事も伝わってたと考えられています。

注:唐の時代よりはるか以前の秦や漢の時代はその逆で「右上左下(うじょうさげ)」のしきたりでした。

それから現代に至るまで「左上右下(さじょううげ)」のしきたりは日本の礼法として連綿と受け継がれてきました。

「左上右下(さじょううげ)」はこんな場面でみられます

天皇陛下と皇后陛下が並んで立たれる場合は、天皇陛下の右手側に皇后様は立たれます。

雛人形の飾り方をみるとよく分かります。

京都を中心とする昔ながらの伝統ある「京雛」は伝統礼法に基づいてお内裏様(男雛)を左側(向かって右)、お雛様(女雛)を右側(向かって左)に飾ります。

京雛左大臣と右大臣では、天皇からみて左側に立つ左大臣が上位になります。

神主が神様にお供えするために階段を1段ずつ上がるときの足の運びは、

まず左足で上がり、それから右足を左足につける。この繰り返しで階段を上がります。

下りるときはこの逆で、右足で下りて左足を右足につける。この繰り返しです。

左足が上位で右足が下位ということなんでしょうね。

身近な生活においても、

着物の着方は、自分から見て左側の襟を右襟の上に持ってくる。正面からみると右襟を前(右前)にします。

舞台の上から見て、舞台の左側を「上手」、右側を「下手」と呼ぶ。

客席から見ると舞台の右側が「上手」となります。 「左上右下(さじょううげ)」は日本における礼法の基礎として日常生活に定着しています。

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「右上左下(うじょうさげ)」のしきたり

右上左下(うじょうさげ)とは「右が上位で、左が下位」というしきたりです。

中国では秦、漢の時代においては、「右上左下(うじょうさげ)」という考え方、決まりがありました。

自分を中心にして右(右手のある側)が上位で、左(左手のある側)が下位という決まりごとです。

又、西洋では右(向かって左)上位が習わしとなっております。

現在の皇室は西洋の右上位を国際儀礼(プロトコール)の基本ルールとして取り入れられております。

よって、外国からの要人をお迎えになる際や、両陛下がお立ちになるときは天皇陛下が向かって左、皇后陛下が向かって右になられます。

江戸時代までの日本の礼法では、左(向かって右)が上位でした。

しかし、明治になると西洋のマナーである、右(向かって左)が上位という考え方を取り入れるようになってきました。

現在では公の場においては、右(向かって左)が上位という考え方が定着してきています。

京雛と関東雛との違い

昭和天皇御即位の礼で天皇陛下は皇后様の右側にお立ちになられました。

右(向かって左)を上位とする国際儀礼(プロトコール)の基本ルールをとりいれられたものと思われます。

以来、関東雛は、両陛下の並び方を範としお内裏様(男雛)を右側(向かって左)、お雛様(女雛)を左側(向かって右)に飾るようになったという説があります。

関東雛

また、関東でお雛様が、上位である左に(向かって右)飾られるようになったのは、 徳川家康の孫である「興子内親王」が後に即位し明正天皇となられたため、江戸では上位の左(向かって右)に女雛を飾るようになったという説もあります。

なぜ右なのか?の説明は、「そう決められているから」としかいえません。

中国では秦、漢の時代において、「右上左下(うじょう・さげ)」という考え方、決まりがありました。

自分を中心にして右(右手のある側)が上位で、左(左手のある側)が下位という決まりごとです。

ですから、前述の「無出其右」という言葉が生まれ、また同時代に高い官位から低い官位に落とす「左遷」という言葉も生まれました。

どうして右を上位としたのかその訳は諸説あるようですが、分かりません。時の権力者がそう決めたからだとしかいいようがないようです。

実際、時代が下がり唐の時代では「左上右下(さじょう・うげ)」と漢の時代とは全く逆のことをいうようになります。

「右が上位で左が下位」としたり、「左が上位で右が下位」としたりするからややこしくなるんです。

ちなみに日本は、遣唐使を通じて中国の考え方を取り入れてきましたので、唐の時代の「左上右下(さじょう・うげ)」の決まり事が伝わってきました。

ただ、「無出其右」「左遷」という言葉も故事成語としてそのまま伝わってきていたと思います。

日本では「左上右下(さじょう・うげ)」の考えを取り入れたのですから、

「その左に出る者はいない」とか「右遷(うせん)」に言い換えてもよさそうですがそうはしなかったんですね。

ですから、「右上左下(うじょう・さげ)」と「左上右下(さじょう・うげ)」の考えが混在していて話がややこしくなります。

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右とはどちら側からみた右なのか

「右に出る者はいない」や「左遷」は、「右上左下(うじょう・さげ)」の時代に生まれた言葉です。

とうぜん、右とは自分の右(右手の側)であり、左とは自分の左(左手の側)をさします。

ただこれだと、左を上位とする「左上右下(さじょう・うげ)」とは相反することになります。

ですから、「右に出る者はいない」の右というのは本人の右ではなく、こちら側からみたときの右だという説明もあります。

しかし、もともとが右を上位とした時代に生まれた言葉ですから、こちら側からみたときの右だという説明は単に左上位に合わせるためのこじつけのように感じます。

「右に出る者はいない」といった場合の右とは、そのもの自身の右であることは歴史的事実にかないます。

事実、現在の皇室は西洋の右上位を国際儀礼(プロトコール)の基本ルールとして取り入れられております。

よって、外国からの要人をお迎えになる際や、両陛下がお立ちになるときは天皇陛下が向かって左、皇后陛下が向かって右になられます。

まとめ

左上右下(さじょううげ)とは、日本の伝統的な礼法のしきたりを表した言葉です。

「左が上位で、右が下位」になるというというしきたりです。

日本の伝統礼法は左上位、国際儀礼では右上位と、2つのマナーの共存が右と左の上下関係を分かりにくくしています。

ビジネスの場においても、式典や会食での席順をどう決めるかは悩みどころです。

「今日は国際儀礼でやります」と一言添えることができればスッキリしますよね。

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